「学び・成長」カテゴリーアーカイブ

学びについてのパラダイム転換

僕は、広い意味で教えること、人の成長を導きそれに寄り添うことを自分のミッションだと考えています。大きく広がる好奇心、学び方を学ぶ力、問題を見いだし切り出す力、問題の本質的な解決とは何かを見極める力、自分の価値観を自覚する力、その価値観に沿って自分で選択する力を育てること、それに命をかけたいと思っています。

そのために、これまでいろいろな形で努力し、工夫もしてきました。その方法は、基本的には良い質問を投げかけることだったと思います。好奇心を刺激し、自分で考え、行動を起こせるようにするために、いかにツボに入って内的な知的エネルギーの爆発を引き起こすような質問をするか、一生懸命考えてきました。

でも、ずっと何か掴みきれていない歯痒さのようなものをずっと感じていました。しかし、それは相手から力を引き出す自分の質問力が未熟だからだと思っていました。

それが、この本を読んで、何もかも一気に吹っ飛びました。

『たった一つを変えるだけ』
ダン・ロスステイン、ルース・サンタナ著;吉田新一郎訳(新評論)

この本のポイントは非常にシンプルです。

真の学びを作るには学ぶ側が良い質問を作る能力を育てること、これだけです。

これだけだと最近割とよく聞くことのようですが、私が衝撃を受けたのは以下のくだりです:

「指導者ないし教師が良い質問をしているかぎりは、対象者は良い質問ができるようには決してならない」(iv)

「子供達は生まれながらの質問者。…子どもたちが質問をし続けるかどうかは、大人たちの反応にかかっています。」 (28)

「よい質問をたくさんつくり出し、そのなかから価値ある質問を選べるようにしてあげないかぎりは、学びも、組織との関係を築くことも社会の仕組みをうまく活用することもできないのです。」(iv)

なんと。教える側が良い質問を練れば練るほど学生や若者たちの中の良い質問の芽が刈り取られるとは…

これは相当にショックでした。

でも、ゼミやワークショップでの様子を思い返してみると思い当たることがあります。こちらが黙ってその場に流れに任せていると次々と面白い疑問や意見が出てくるのに、こちらが考えや意見を引き出そうと前のめりで練り込んだ質問をすると、質問の答えは出てもそれ以上盛り上がらないとか。

この本では、教える側は一切質問をしてはならないとまで言っています。

とんでもない本に出会ってしまいました。この本を読んで以来、授業だけではなく、研究会やワークショップに至るまで、新しい学びと探求の場の作り方についてアイデアがどんどん生まれてきてゾクゾクしています。

答えの探し方より問い方

実社会の問題は答えが一つではない。

その理由の一つは、実社会の問題は基本的に複雑で、その問題の全体をきれいに解決するようなたった一つの正解などはありえないから。

もう一つの理由は、問題にどのような影響を受けるかは人によって違うので、解決の仕方、何をもって解決と言えるのかは、誰の立場を考えるかで「解決」の仕方が変わるから。

つまり、答え方は無限大で、唯一の正解はない。
問題のどの側面を誰に対して解決するのかを考えなくては、求めるべき解決方さえわからない。

だから、大事なのは正しい答えを探すことではなく、正しい問い方を見つけること。質問をどのように設定するかでどのような答えが導かれるかが決まる。質問の立て方が洞察にとんだ面白い視点に基づいていなければ、洞察に富んだ答えは出てこない。

そう考えると、しばしば言われることではあるけれど、答えを探すこと、しかも素早く効率的に探すことばかりに躍起になりがちな従来の学校教育がいかに現実社会での問題解決から遠いか、改めて思う。

教科書の問題をどんなに速く解くことができても、それは予め決まった場所で予め決まった規則に沿って起こる課題の解決ゲームに過ぎない。まして、公式だけを覚えて問題解きの効率化を競ったりしていれば、その訓練は本質的な問題解決からはどんどん遠のいていく。

社会の変化の少なく、問題も定型化しているようなときであれば、それもまだ役に立つところもあったのかもしれないが、今のように変化が速く大きいときは、学校での「問題解決ごっこ」は役には立たないだろう。

今はとにかく質問の仕方で悩むべき時。

まして今は、従来の考え方でまともに答えを探しても解決法が見つからない問題が多い。全く別の枠組みで問題を捉え直して答えを作り出していく柔軟な知性が必要とされている。

変化に適応することの難しさ

変化が起きているときに、それに合わせて進化していくのは意外と難しい

世界が変わったら、世界観を変え、新しい決断をすることが必要

それは、理屈では皆分かっていることかもしれない

でも、問題は、世界が変わってきていることに気がつけるか

周りの景色がちょっと前とは似ても似つかなくなって、
従来の生き方、やり方を続けることが日に日に難しくなってきていても、
気が付きたくなければ、世界の変化には結構気づかないもの

変化に気づくべき時に気づけるか

それは、変化を想定し、変化を受け入れる用意があってはじめて、気がつける

能力は生まれ持ったものか、成長するものか

Amazonから入ってきた広告で紹介されていた本ですが、面白そうだったので、ちょっとネットでも調べてみました。Carol Dweck (スタンフォード大教授)という心理学者の研究なのですが、心的態度と意欲や自己意識、他の人への対し方との関係性に焦点を当てたものです。

「能力」についてのイメージの仕方に、大きく分けて、固定的・生得的なものだとする捉え方と、動的で成長するものだとする捉え方があることを指摘し、そのイメージの仕方の違いが、自分や他の人の評価、やる気、失敗などへの対し方など、生きる上での様々な局面での考え方、態度をどのように形作っていくか、について非常に示唆に富んだ論を展開しています。

まだざっくりとした理解ですが、端的に言うと以下のような主張です:

人の能力を固定的、生得的なものだとイメージする人は、

  • 有能に見えることを強く望む(逆に無能に見えることを強く恐れる)
  • 挑戦やリスクを避ける
  • 努力することの意味について懐疑的
  • 批判や失敗に対して自己防衛的態度をとりがちで、そこから学ぼうとはしない
  • 障害があるとすぐに諦めがち
  • 失敗からの立ち直りが遅い
  • 他の人の成功を脅威に感じる

>その結果、早い段階で成長が鈍化し、真の可能性をいっぱいに発揮できない

人の能力を動的で成長するものだとイメージする人は、

  • 学ぶことに強い意欲を持っている
  • リスクや困難に積極的に取り組む
  • 失敗や逆境に負けにくい
  • 努力することに意欲的
  • 批判や失敗を受け入れそこから学ぼうとする
  • 他の人の成功から学びや刺激を得る

>能力の面でも実績の面でも進化し続ける

エッセンスをまとめるとすれば、能力を固定的に捉える人は、自分の「今の能力」に囚われ、それをただ守ることに固執してしまうが、能力を動的に捉える人は、自分の能力を伸ばすことに注意を向け行動するため成長し続けられる、ということになります。

この研究の結論の重要な論点は、一般的に持たれがちな固定的・生得的な能力観が実は我々の成長可能性を封じてしまう落とし穴であるという部分だと思います。懐疑心の強い向きには、気持ちが良くなる自己啓発メッセージみたいでなんかなぁ、と思えてしまうかもしれませんが(私自身もはじめは少しそんな気がしました)、この論点が大事になってくるのは、自分の能力の伸びしろについてもさることながら、人を育てるプロセスにおいてだと思います。

人を育てる場では、能力が進化するものであるということが大前提でなくてはなりませんよね。もし能力が固定的なものだとしたら、学校のシステムでできることは子どもたちを能力別にふるい分けることくらいになってしまいます。ただ、今の教育のシステムが本当に動的な能力観に基づいてとことん作り込まれているのか、と考えるとかなり心許なくも思えます。

結構面白そうなので、本をしっかり読んでみようと思いますが、まずは読めるもの(英語で書かれたものですが)をご紹介しておきます:

“The effort effect” — Stanford Magazine 2007
Dweckの研究の発達の過程をわかりやすくまとめて解説した記事
“What do we tell the kids?” — Stanford Magazine
子供のほめ方について、Dweckの研究を応用したアドバイスをまとめている
“The secret to raising smart kids” — Scientific American 23(5): 2015 Jan

 

学びを支えるもの

本当の学びは、常に自己破壊をはらんでいるもの。

役に立ちそうな知識や技術を手際よく身につけること、これも学びの一部でないとは言えないが、本当の学びとは質的に異なる。今の自分を危険にさらさずに知識や技術を小手先で使うことを覚えても、化ける成長は起こらない。

だから、変わることを拒むと学べない。

学びを止めないためには、どんな事柄、相手に対しても自分を守りすぎず、自分が変えられてしまうことを受け入れる用意を持ち続けること。

それだけに、学びと成長のプロセスには不安や恐れはつきもの。
だからこそ、深い学びと成長がおきるには、何をおいても深い信頼と安心がまず必要だと思う。
そんな深い学びと成長がおきる関係、場を少しでも多くつくっていきたい。

成果を絞り出すことばかりにこだわり、そこから逆算してしか学びや成長を考えない傾向が強い今の世の中には、あまりに少ない気がするんだよ、そういう関係、場所が。

次世代の中に育てたいもの

デザイン思考を教育に生かす取り組みがないかとネットを検索していたら、ありました。

Design For Change というインド発の取り組み。デザイン思考の枠組みを土台として、子どもたちの中に「自分たちにできることがある」「自分たちに起こせる変化がある」という意識を育てようというプログラムです。こちらがそのサイト:

http://www.dfcworld.com/

この取り組みは世界のあちこちに広がっているようで、日本でも始まっているようです:

http://designforchange.jp/

そこに掲げられている目標は、僕が力を注ぎたいと思っている人育てと重なります。

若い人、子どもたちに、自分たちを取り巻く世界を意識し、積極的に知り、そこで感じた違和感に対して、自分たちにも何かできることがある、という自信を持たせ、行動を起こせる安心感と意欲を持たせてあげたい。

自分たちの働きかけで状況が変えられるという自信があると、人は周りの問題に対する関心が強くなり、自分たちが行動を起こさなくてはという責任感や、状況をよくしたいという気持ちも自然と強くなる、そんなもんじゃないでしょうか。

楽観的すぎ、むしろ脳天気な考え方なのかもしれないけれど、その可能性を信じたいと僕は思っています。

どんな先進的な理論や問題解決手法でも、一つの枠組みを型どおりに当てはめて理解・解決できるほど世の中の問題は単純ではないです。だから、理論や手法をいくら教えても、その効果は限定的。

大事なのは、実態をよく見て人の話を良く聞いて理解する力と、自分が状況を変えられるという自信。それこそが次世代を担う若者、子どもたちの中に僕が育てたいと(僭越ながら)思うものです。

「デザイン思考」への期待

今、問題の見極めと課題設定・解決のアプローチとしての「デザイン思考」に関心を持っています。

ちょっと長いですが、より多くの人たちと一緒に考えたいので、なぜ「デザイン思考」に関心があるのか、を少し詳しく書いてみます。

自分にとって一番重要だと思えるのが「現場」と「当事者」からスタートすることです。

「デザイン思考」では、問題状況の分析と課題設定をするときに、まず問題の現場に向かい、そこでのフィールドワークを通して、当事者を取り巻く状況をじっくり見回し、当事者の目線で状況を理解するところから始めます。このアプローチは、遠くから外形的に問題状況を観察し、一般的論理に基づいて分析を進めるやり方とは大きく異なるものです。

ちょっと単純化した例で考えてみます。例えば、ある学校で中3の1クラスで数学の成績がふるわないという問題があったとします。これがどのような問題なのかを見極めようとするとき、理屈で考えると、以下のような要因が考えられそうです:
a) そのクラスに数学が不得意な子ばかりが集まっている
b) そのクラスを担当している数学教員の教え方が悪い

そうなると対策は
a’) そのクラスだけに特別補習をする
b’) 担当教員の教え方を変える
b’’) 担当教員を替える
といったあたりになりそうです。

でも現場に行って観察し子どもたちに話を聞くと違った光景が見えてくるかもしれません。例えばそのクラスの数学は決まって昼食後の眠い時間帯ににあって皆眠くて仕方がない、としたら、どうでしょうか。

デザイン思考のよいところは、現場に身を置いて直接観察し、当事者たちの話を聴くことでその文脈を理解し、当事者が置かれた状況を肌で感じることを重要視して、それを基盤として問題解決への取り組みを方向付けることです。

これは、永年フィールドワークを通して言語を調査・研究してきた自分にはすごくしっくりとくるアプローチです。

現場を訪れるときにいつも思いますが、遠くからは単純に見えるような現象でも、実際には遙かに複雑で、あいまいなものです。問題現象(あるクラスの数学の成績が良くないこと)が直接的・論理的要因(生徒の学力が低い;教師の教え方が悪いなど)によってのみ引き起こされているような単純な例は現実には少ないものです。特に今のような変化の激しい時代には、一見関係なさそうな間接的要因や制約の数々が複雑に絡みあって、一筋縄では解決しにくい状況を作りだしていることの方が多いでしょう。

だからこそ、単純化した論理思考を当てはめて問題が分かった気になって筋違いの解決法をどんどん考え出す力よりも、現場に行って良く周りを見回し、人の話に耳を澄ませ、そこから問題状況を丁寧に解きほぐして、当事者に向き合った解決法を探る、そんな現場に根ざした柔軟な知性を育てたいと思うのです。デザイン思考はまさにそういうアプローチのように見えるので、期待しています。

変わらないために変わり続ける

「変わらないために変わり続ける」

(河原成美 <博多一風堂・創業者>)

大事なことは守りたい。
大事なことに関してはぶれずにいたい。

守る、ぶれない、というと、頑なに変わらないでいるべきだと思ってしまいがちだけれども、変わることを拒んでいるとき、守っているのは自分だけ。

大事にしたいのがもっと大きいものだったら、いつも自分が柔軟に変わり続けていないと、守り切れない。

質問する力こそ育てたい

実社会の問題には答えは一つではない。答え方は無限大。したがって、質問をどのように設定するかでどのような答えが導かれるかが決まる。質問の立て方が洞察にとんだ面白い視点に基づいていなければ、洞察に富んだ答えは出てこない。

TEDxStanford – Tina Seelig – A crash course in creativity

答えを探すことばかりに躍起になると決まった形の問題に決まった形の答えを出すだけのルーチンにはまっていく。それは予め決まった場所で予め決まった規則に沿って起こる課題の解決ゲームに過ぎない。

まして、公式を覚えたりして速さを競ったりしていれば、本質的な問題解決からはどんどん遠のいていく。

そう考えると、公式化されうるものを素早く効率的に解く訓練ばかりに力が行きがちな従来の学校教育がいかに現実社会での問題解決から遠いか、改めて思う。変化の少ないときであれば、それもまだ役に立つところもあったのかもしれないが、今のように変化が速く大きいときは、学校での問題解きは守られた砂場での「問題解決ごっこ」でしかないだろう。

答えを得ることも大事だが、それ以上に、質問の仕方で悩め。今の複雑な世の中での問題は、まともに答えを探しても見つからないことが多い。問題を全く別の枠組みで捉え直して答えが得られる形にする、というような柔軟なアプローチが必要とされている。そんな時代の要請に応えるためには、質問する力こそ育てるべき大事な力。