言葉というのはその内容が大事。
それは間違いないのだけれども、
効果を考えると、実は思う以上に誰からもらうかが大事だったりする。
例えば、信頼できそうもない人から発破かけるような言葉をもらっても、
白々しく感じたり、
場合によっては、イラっときたり
どんなにいい言葉がけも、自分が信頼する人からもらわないとぐっとこない
だから、逆に、自分の言葉を人の役に立てたいと思ったら、
メッセージの練り込みや言葉使いの手法を磨くことよりも
まず、信頼してもらえる関係を作ることから
言葉というのはその内容が大事。
それは間違いないのだけれども、
効果を考えると、実は思う以上に誰からもらうかが大事だったりする。
例えば、信頼できそうもない人から発破かけるような言葉をもらっても、
白々しく感じたり、
場合によっては、イラっときたり
どんなにいい言葉がけも、自分が信頼する人からもらわないとぐっとこない
だから、逆に、自分の言葉を人の役に立てたいと思ったら、
メッセージの練り込みや言葉使いの手法を磨くことよりも
まず、信頼してもらえる関係を作ることから
「僕は仕事をするうえで、エンターテインメントや表現に関わる人の評価基準は、どれだけの人にどれだけの大きさで影響を与えることができたかだ、と思っているんですね。『仕事の価値は、他人の人生を変えた数で決まる』と。」
(カドカワ社長・川上量生)
確かに。自分よがりに出したいものを出したいように出す、というのではなく、相手にしっかり向き合って、相手に届くように表現の仕方を悩み工夫すべき、という点では本当にその通りだと思います。
ただ一方で、どのような影響を与えるかはこちらが一方的に決めるべきものでも、決められるものでもないと思っています。表現する方としては良かれと思って、自分なりに心を込めて届けるわけですが、相手にとってどのような肥やしになるのか、ならないのか、については相手の中で起こることで、表現者としては、相手の人生に触れることができたという奇跡に感謝するだけ。
創造、表現の意味・意義は、それを受け取る人との間に生まれる。
表現する側は、伝えたい気持ち、表したい情動に駆られて、形にする。
その形は、言葉だったり、お話だったり、音楽だったり、踊りだったり、モノだったり、空間だったり。
そして、表現された形が人々を喜ばせたり、驚かせたり、笑わせたり、考えさせたり、感動させたり、がんばらせたりする。表現する人はなにか伝わってほしいと思うものを込めて表現するのだけれど、受け取った人になにが感じられるか、なにが起こるかは、表現した人の思惑や想像には収まらない。表現する人の「意味」は、いったん形に表されると、相手の受け取りに託されるしかない。
その解釈は周りを囲む状況や受け取り手の気持ちなどに大きく影響を受け、それが表現する人の意図と合っている保証もない。ある意味、合っている必要もない。だから、表現する側は、結果として起こる表現の意味を正確に予見することも決めることもできない。その意味で、どのような芸術表現も言語表現も、「意味」の表現としては、「きっかけ」や「提案」でしかなく、完成された完璧な表現ではあり得ない。
だとすれば、表現においては、完璧にこだわらず、形にして出していくことが大切なんだろうな。