多くの組織でそうだと思いますが、僕がいる組織でも、部署の間のコミュニケーションが取りにくくなっています。どの部署でも日々不定型で複雑な業務や依頼・要求があちこちから投げ込まれる一方で、効率化や実績を細かくチェックされる。
そんな環境の中で、みんながいつも不安に駆られ、他の人たちに対して不信を抱き、それが原因で頑なで不寛容の態度を取ったり、あたったりする。そしてそれが相手に不安と不信感を増幅し、また次の不寛容や八つ当たりを生む。
これは哀しいかな、良く聞く話。話として聞くときには、何てことだ、と残念がり、それを買えなければと思ってみたりするが、自分が職場に行って朝から頭の硬いメールの二つ三つももらえば、あっという間に負のスパイラルにがっちりはまり込んでしまう。
特に年度末が近づくこの時期はそう。
でも、今日ちょっと良いことがあった。起こったこと自体はカチンとくることだった(会計の部署の処理状況が見えにくいために予算執行がちぐはぐになり、結果として結構な額の立て替え金が請求できなくなってしまった)けど、関わった担当者たちとのやり取りがよかった。どちらの人も互いに連絡を取り合いいろいろとできることを考えてくれて、臨機応変な「生きた」対応をしてくれたので、「ひと」とやり取りをしている感じがして、嬉しかった。
結果としては解決できなかったけれども、その担当者たちの努力には感謝の気持ちが湧いてきた。そこで、その気持ちとせっかくいろいろ考えてもらったのに無駄になってしまったことのお詫びをメールしたら、自分たちのシステムが不親切な部分が多々あるので詫びなくてはならないのはこちらの方で、これからもっとわかりやすくできるようにしていきます、という返事が来た。
この返事を見て、問題が起こったことがある意味よかったとさえ思えた。問題が起こらなかったらこの人たちの心遣いを見ることはなかったから。
人と人が「人らしく」関われると、問題からも良いものが生まれるんだな。