「世界の面白さ」カテゴリーアーカイブ

美しいものの不思議

美しく咲き始めたサクラの写真を撮っていてふと思ったこと。

写真を撮ろうとするとき、僕はいつも何かを探している。

端的に言えば、「美しいもの」「心を打つもの」を見つけようとしているのだという気がするが、どういうものが「美しく」「心を打つ」のか。

花の形とか、花たちが作る空間とか、色合いとか、光の具合とか…

でも、よくよく考えると、「美しさ」は一様じゃない。

花びらがいっぱいに開いた姿もいいけど、開き始めのつぼみも愛らしい。
順光を受けて鮮やかな色がはじけているのもいいけど、逆光を浴びて光の輪郭に形取られているのにも息をのむ。

強いて言うなら強いコントラストが効いていて「ドラマチック」な光景が好きかな。でも、その美しさは具体的な見た目では定義できない。

色々な要素の微妙な組み合わせで、ある瞬間にパッと見えるようなものだから。見える時にはあんなにはっきり感じられるのに、外形的な作りなどでは説明したり、再現したりするのは難しい。

そんな掴みきれないバランスでできているところが、「美しさ」の面白い所以。

人との間合いの難しさ、面白さ

混雑している駅などで前から衝突コースで人が歩いてくる。それをよけるのは結構難しい。

相手の歩き方を見つつ、ぶつからないようにコースを変える。すると、なにを思ったか相手もコースを変えて。慌てて避けようとしたら相手も同じことをして、結局ぶつかってしまう。なんてことは意外と多い。

前からきたのが物だったらこんなことは起こらないだろう。

相手が人の場合は、相手方もこちらの動きを常にモニターし、お互い相手の動きを予想して、それに応じて双方が行動を細かく調整する。

ここに人相手の間合いの取り方の難しさがよく表れている。

我々はややもすると、相手が人であっても、物であっても、外界にあるものは基本的に物理法則に従って動くとおもってしまう。だが、人通しの場合は、お互いがお互いの判断や行動に影響を与えあっているから、動きが予想外になる。

特に、問題となる間合いが物理的なものではなく、心理的な間合い(親しさや信頼、相手への気兼ねなど)であると、間合いの解釈、評価のズレが大きくなりやすいので、うまく調整するのは至難の業。

全てをきちっと想定内に収めてコントロールしようと思うと、こういう相互作用は困ったものだと思えてしまうけれども、相手に半分預けつつ、互いに意識し合いつつ間を合わせていく、これこそが生きた関係。それを味わい、楽しむ柔軟さ、余裕を大事にしていきたい。

おしくらまんじゅう

おしくらまんじゅうとは、不思議なあそびだ。

おしくらまんじゅうの楽しさは、グループをどこかに向けて動かすことではない。おしくらまんじゅうの楽しさはみんなで押し合うこと自体にある。その結果皆がどこに至っても楽しい。

最近、人生の面白さもそんなものかも知れない、と思う。

というか、人生をおしくらまんじゅうのように楽しみたいと思ってきた。

人生がおしくらまんじゅうだとしたら、とにかく体当たりを繰り返すことが大前提。

自分の体当たりによってどうこうしようとあれこれ考えたりせず、自分の体当たりがグループの中で思いも寄らない方向に転がるのを面白がる、それが楽しむコツ

だよね。