「強さと弱さ」カテゴリーアーカイブ

恐れを知らないこととわからないこと

勇敢で恐れを知らない人とは、恐るべきことをしっかり恐れ、その上でその恐れに惑わず、逃げず、しっかり向き合うことができる人。恐れを感じない、わからない人ではない。

楽天的な人とは、悲しいこと、不安なことをしっかり感じて、その上でその悲しみや不安を押しのけながら、未来を信じる決意を持っている人。悲しみや不安を感じない、わからない人ではない。

強い人とは、打ちのめすような苦しいこと、辛いことを身体中で受けとめながら、その上でその苦しみや辛いことで自分が定義されることを拒み、断固として幸せであろうとする人。苦しみや辛さを感じない、わからない人ではない。

感じない、わからない人は、ネガティブなことに影響を受けず、勇敢で、楽天的で、強く見える。羨ましくさえ思える。でも、感じない、わからない人には勇敢さも楽天も強さもないのだと思う。なぜなら、ポジティブな生き方はネガティブなことがないことから可能になるのではなくて、ネガティブを受けとめて土台にすることで作られるものだから。

だから、恐れや悲しみや苦しみを感じることは、しっかり幸せになる能力があるということ。それがあるから幸せが作れる。

本当かどうかわかりません。
でも、あれこれ悩むことが多い僕はそう考えていないとやってられないのでそう信じてます。

同じように悩み性の人も、一緒にそう信じましょう。
そうでない方は、読み流してくださいませ。

恐れに向き合う力を得るには

僕は敏感で、感情的にも振れ幅が大きい性質なので、恐れや衝動などに突き動かされる部分が大きいです。なので、こうした恐れや衝動にどのように対するのかというのは、僕にとって大変大きなテーマ、いや命をどれだけ使いきれるかのカギであると言っても過言ではないと思っています。

思えば、これまでずいぶんと感情のジェットコースター気分を味わってきましたし、周りを振り回したこともあったと思います。そういうことを言うと、よく驚かれたりするのですが、中ではかなり戦い苦しんでいるところもあるんです。

今では、その恐れや衝動に少しずつ上手く対処できるようになってきましたが、そのきっかけについて、今日はお話ししようと思います。

僕にとっての転機となったのは、自分に多くの恐れや衝動があり、自分がそれに振り回されがちであるということを自分だけではなく人にも認めたことでした。最初は文字通り息がつまるほど抵抗を感じましたが、必死でそれを乗り越えてみると、憑き物が取れたように身体と心が軽くなったのを覚えています。

その抵抗を越えてみてわかったのですが、恐れや衝動が僕らを突き動かすその力の強さは、恐れや衝動自体の強さというよりも、それらの感情を恐れ向き合えないことからきているようです。夜道で後ろに感じた気配の怖さが、その怖さのあまり振り向けずに走り始めると爆発的に大きくなるのと同じ感じです。

もちろん、向き合っても実際に感じた恐れや衝動がなくなるわけではないですが、少なくとも手に負えない感じで増殖することはなくなり、「等身大」で向き合うことができます。

自分が極度に恐れていること、罪悪感を持っていること、恥ずかしいと思っていることは、まずその存在を認めてしまうことが向き合う第一歩。言うのは簡単。本当にやるのは相当難しいです。でも、信頼できる友達の力を借りればなんとかできます。本当の友達に自分を預けるつもりで身を投げ出してみる。その勇気を出すことができれば、超えられます。