答えの探し方より問い方

実社会の問題は答えが一つではない。

その理由の一つは、実社会の問題は基本的に複雑で、その問題の全体をきれいに解決するようなたった一つの正解などはありえないから。

もう一つの理由は、問題にどのような影響を受けるかは人によって違うので、解決の仕方、何をもって解決と言えるのかは、誰の立場を考えるかで「解決」の仕方が変わるから。

つまり、答え方は無限大で、唯一の正解はない。
問題のどの側面を誰に対して解決するのかを考えなくては、求めるべき解決方さえわからない。

だから、大事なのは正しい答えを探すことではなく、正しい問い方を見つけること。質問をどのように設定するかでどのような答えが導かれるかが決まる。質問の立て方が洞察にとんだ面白い視点に基づいていなければ、洞察に富んだ答えは出てこない。

そう考えると、しばしば言われることではあるけれど、答えを探すこと、しかも素早く効率的に探すことばかりに躍起になりがちな従来の学校教育がいかに現実社会での問題解決から遠いか、改めて思う。

教科書の問題をどんなに速く解くことができても、それは予め決まった場所で予め決まった規則に沿って起こる課題の解決ゲームに過ぎない。まして、公式だけを覚えて問題解きの効率化を競ったりしていれば、その訓練は本質的な問題解決からはどんどん遠のいていく。

社会の変化の少なく、問題も定型化しているようなときであれば、それもまだ役に立つところもあったのかもしれないが、今のように変化が速く大きいときは、学校での「問題解決ごっこ」は役には立たないだろう。

今はとにかく質問の仕方で悩むべき時。

まして今は、従来の考え方でまともに答えを探しても解決法が見つからない問題が多い。全く別の枠組みで問題を捉え直して答えを作り出していく柔軟な知性が必要とされている。

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