[読] Creativity, Inc. (ピクサー流 創造するちから)

Creativity, Inc.: Overcoming the Unseen Forces That Stand in the Way of True Inspiration

『ピクサー流 創造するちから』

John Lasseter と共にPixarを作り引っ張ってきた Ed Catmull が書いた本。

常に観る人の想定を越えて、アッと言わせる作品を生み出し続ける共同的創造作業の現場をどのように作り、維持してきたのか、その苦労を、これまでの作品作りの舞台裏を明かしながら、自らの経験として語っている。Pixarの映画作りの歴史の本としても楽しめる。

この本を読むと、Pixarのマジックは決してただの幸運などではなく、身と心を削る苦労の賜物だということがよく分かる。

Pixarの活発な創造空間を維持しているものは簡単なスローガンなどには決してまとめられるものではないが、すべての人を生かし切る、率直に建設的に意見を言い合う信頼関係を保つ、積極的にリスクを冒せる安心を保つ、環境や関係の変化に対応して常に柔軟に考え動く、などの指針が心に残った。

日本語版を読み始めたが、誤訳や分かりにくいところが多々あったので、英語版を買い直して読んだ。英語版の文章はとてもよく書かれていて読みやすく、感動的。日本語翻訳もがんばってはいるが、原書の魅力が十分訳し切れていないのが何とも残念。

 

既成の職業からはみ出て、はずれて生きる

「絵描きは絵描き、学者は学者、靴屋は靴や、役人は役人、というように職業の狭い枠の中に入ってしまって、全人間的に生きようとしない、それが現代のむなしさなんだ」
「[そうなると人は] 結局は社会システムの部品になってしまう」
(岡本太郎『自分の中に毒を持て』p.213)

自分の生き方を考える時、職業によって考えようとしがち。でも、職業、特にちゃんとした名前がついている職業というのは、社会の中で既製品化された役割、生き方にすぎない。それに自分をはめ込むことに躍起になって、その役割にあまり順応してしまうのはもったいない気がする。

食べていけなくては困るけれども、自分の生き方は常に既成の「職業」や「地位」や「キャリア」の枠に納めたくないよね。「枠」からそこここではみ出て、縦横無尽に行き来して、紹介するときに「あの人って○○」などと一言で片付けられないわからなさをもった人生にできたら、上手く生きられた!と思える。きっと。

強みと弱み

人はだれでも強みと弱みを併せ持つ。強みだけをもっているような人はいない。強みと弱みは背中合わせ。

そういう言葉は良く聞く。

確かにそうである気がするけれども、ちょっと違うようにも思う。

そもそも人は多様だから、それぞれ他の人とは違った出っ張りやとんがりがある。あるとんがりは強みと感じられ、あるとんがりは弱み・欠点と感じられる。

でも、実のところ、とんがりそれ自体はマイナスでもプラスでもないのだろう。

自分の弱み、欠けたところと感じられるとんがりであっても、それを意識することは、探求、学びの原動力を生む。それを通して、自分の弱みは克服され、強みと合わさり、強い力となる。

また、弱みを意識することは、他の人との協働を促す。自分に足りないところは、自分一人の範囲で考えるとただの弱点かもしれない。でも、他の人たちとつながって生きることを考え始めると、その足りないところ・弱点が他の人とのつなぎ目になり得る。

逆に弱点のない人は他の人とつながる引っかかりが少なくなってしまうのかもしれない。

だから、人の持つとんがりはどんなものであれその人を動かす力を生みうる。そういう意味で、ある瞬間には弱みにかんじられるとんがりも、時間の流れの中では強み、財産につながっている。

「弱み」に感じられるものが本当の弱点、欠点になってしまうのは、「弱さ」の意識、劣等感が人の心を食い尽くしてしまうとき。劣等感が、自分への攻撃や、他の人への羨望、不足感につながると、その人から行動力を奪い、尽きることのないの焦燥感をもたらす。

折角の「弱さ」の意識、自分を見つめる勇気を自分の仇にしてしまわずに、飛躍のバネとしたいよね。

あえて自分をわからない

みなさんは自分がどんな人間かわかりますか? 

僕は、敢えて自分をわからなくなろうとつとめています。

自分を「こんなところだろう」という殻に閉じ込めたくないからです。

よくやるよな〜、と思えるはっちゃけ、
自分でも、よくやるよな〜、と思いながらも、そんな自分に突きつけている挑戦です。

昨日までの自分に安住したいと思う自分を追い立てて、不安なところへ飛び出させる挑戦です。

もちろんはっちゃけるだけが挑戦じゃあありません。
自分を「こんなところ」「そんなもの」に安住させずに、不安な一歩を踏み出させるために一押しする。

その一押しの形は人それぞれ。

みなさんはどうやって自分に挑戦しますか?

応援してます!
みんなの挑戦の話、聞きたいなあ。

[読]「経営者を支え、起業家を育てる」

小出宗昭(富士市産業支援センター長):経営者を支え、起業家育てる:朝日新聞デジタル(フロントランナー) (2014.5.10)

【メモ】

・売上げを伸ばす方法は3つ:販路拡大、新分野進出、新商品・サービス開発

・起業をめざす人への有効なアドバイスは3つ:真のセールスポイントを生かす;ターゲットを絞る;必要な人や企業をつなげる

ひと生かし、能力生かし、地域おこし

・起業家に限らず、地域で働くあらゆる人の「挑戦」を応援して地域にたくさんのチャレンジャーが生まれれば、地域は元気になる。テーマは「チャレンジャー大量排出作戦」

・コーディネーターに必要な素質:高いビジネスセンス;コミュニケーション力;情熱(覚悟をもってとことん向き合う)

・相談に来る人は、人生を懸けてやってくる。だからこちらも命がけ

・(企業支援事業)の成功はコーディネーターにかかっています。「一生懸命やっています」なんて意味がない。求められているのは結果のみ。地域に支持されたかどうかの指標となる来場相談件数の公表は必須です。

・もちろんすべてがうまくいくわけではありません。成果が出るのは7割ほど。でも、失敗してもまた次がある。もう一度チャレンジすればいいのです。僕らの提案はコストをかけません。だから何度でもチャレンジできるのです。

・どんな企業にも必ず、オンリーワンがある。それを見いだして、応援するのが僕たちの仕事

人には必ず生かされるべきものがある

弱みを分析せずに、強みにかける

自分に勝負をかけようというとき、自分の現状分析は重要だが、自分の弱みを事細かに分析することはあまり有益でも意味があることでもない。弱みの克服は守りの発想。自分の弱みは克服しても武器にはならない。戦うときは武器をとことん磨いてそこに絞り込んで賭ける!

自分の弱みの分析にあまり力を注がない方がいい、その理由は:

1) 特に「自分の弱み」といった漠然とした形で自分にない物、足りない特質をあげつらってもきりがなく、自分の自信にとって毒になるばかり;
2) 弱点は時間や気力を投資して克服しても、自分にとって闘う武器・強みにはなりにくい

これは自分の弱点から目を背けると言うことでもないし、弱点を意識することが全く無駄であるということでもない。

弱点が自分にとって困るのは、自分の強み・ウリを発揮する上での足かせになる場合。それ以外の場合は、気にはなるだろうが、自分にとってクリティカルな問題ではない。

重要なのは、強みをさらにとがらせること。その強みをどのような方向性でとがらせていくか、そのストラテジーを練っていくこと。そのプロセスの一環として、強みのさらなる強化の支障となる弱みに対処することは非常に有効であろう。

弱みの克服は、意味があるとすれば、強みを育てる明確なストラテジーのなかで、そのプロセスをより効果的に進めるという目的に向かって行われるとき。弱みの克服はあくまで強みを育てるために、特定の制約条件をなくす目的で考えるべきこと。

まず第一は強みの強化。

 

リディラバに参加します

先日、以前からその理念や活動に強い関心を持っていたリディラバという団体の代表の安部敏樹さんとお話しして、この団体の活動に関わらせてもらうことになりました。
このリディラバは、潜在的なものも含めた幅広い社会問題の現場へのスタディツアーを企画運営する団体で、人々の関心を高め、その関心を現場に送り込むことを通して社会問題が放置されにくくする社会を作っていくことをめざしています。
関心という糸で人と人をつなぐ。それと同時に、個人の中に周りの世界への関心を刺激することで社会に対する当事者意識をもたらす。当事者意識を持った人は問題を「自分が変えたいこと」として感じるようになる。自分が行動することが社会問題を取り巻く環境を変化させることに気づくと、「世の中は自分が変えられる」という気持ちが起こる。その自信が行動を引き出す。そんな良い連鎖を作り出すことを通して自分から行動する個人を増やす。
その、人と人をつなぐ、自分から行動する個人を増やす、という側面が私がやりたいことと非常に親和性が高いのです。
これからの展開が楽しみです。

自分が何者かわからない時

自分はどんな人間なのか、どんなことが得意なのか、どんな強みをもっているのか
自分の中を掘っても掘ってもわからない
自分の内側から必死に見回してもわからない

無理もない
なぜなら、人の「力」「役割」「強み」が根本的に他の人との関係の中で形作られるからだ

他の人が自分に認める力や強み、他の人が自分に期待する役割
そんなところから自分の存在の意味が見えてくる

だから、自分が何者かわからない時は、とにかく人との関係の中で動いてみるといい

  • 人と一緒に何かに取り組む
  • 人のために行動してみる
どんなに自分を見つめ続けても見えてこなかったものがきっと見えてくるんじゃないかな

十分でない、のはいつでも同じ

もっと時間に余裕があれば本当にやりたいこと、やるべきことができるだろう。
もっとお金があれば未来に投資できるのだが。
もっとゆったりとした気分でいることができればしっかり考えるのに。
もっと気持ちに余裕があれば、人に優しくなれるけど。
もっと暇があれば、人のために時間を使うこともできるけど。
もっと… …

もっと…

しかし、「もっと余裕がある」ことなど一生ない。

余裕がないこと、十分に条件が整っていないことを理由にしていたら、一生できないし、一生やらないだろう。
今難しいことは、いつでも難しい。

カギは、難しいその「今」、やるべき事をやること、すべき投資をすること。それによってのみ未来は開かれる。

Inspired by: Seth Godin’s blog — Never Enough

成長を可能にするのは知識ではなく勇気

知識を得ることは成長のきっかけになりうる。

でも、知識を得ること自体は成長ではない。

人は、得た知識によって生き方が変わったとき、成長する。

どんなにはっきりと、どんなに深く「分かって」いても、時には苦しい思いをしながら生き方を変える、その勇気をもたなくては、知識は絵に描いた餅。

成長は、詰まるところ、自分自身を変化にさらす勇気にかかっているんだな。