人はだれでも強みと弱みを併せ持つ。強みだけをもっているような人はいない。強みと弱みは背中合わせ。
そういう言葉は良く聞く。
確かにそうである気がするけれども、ちょっと違うようにも思う。
そもそも人は多様だから、それぞれ他の人とは違った出っ張りやとんがりがある。あるとんがりは強みと感じられ、あるとんがりは弱み・欠点と感じられる。
でも、実のところ、とんがりそれ自体はマイナスでもプラスでもないのだろう。
自分の弱み、欠けたところと感じられるとんがりであっても、それを意識することは、探求、学びの原動力を生む。それを通して、自分の弱みは克服され、強みと合わさり、強い力となる。
また、弱みを意識することは、他の人との協働を促す。自分に足りないところは、自分一人の範囲で考えるとただの弱点かもしれない。でも、他の人たちとつながって生きることを考え始めると、その足りないところ・弱点が他の人とのつなぎ目になり得る。
逆に弱点のない人は他の人とつながる引っかかりが少なくなってしまうのかもしれない。
だから、人の持つとんがりはどんなものであれその人を動かす力を生みうる。そういう意味で、ある瞬間には弱みにかんじられるとんがりも、時間の流れの中では強み、財産につながっている。
「弱み」に感じられるものが本当の弱点、欠点になってしまうのは、「弱さ」の意識、劣等感が人の心を食い尽くしてしまうとき。劣等感が、自分への攻撃や、他の人への羨望、不足感につながると、その人から行動力を奪い、尽きることのないの焦燥感をもたらす。
折角の「弱さ」の意識、自分を見つめる勇気を自分の仇にしてしまわずに、飛躍のバネとしたいよね。