自分は引っ込み思案な夢追い人なのだと思う。
夢見ることは好き
無茶な夢でも追いかけようと思う
追いかけるためにいつでも身体ごと飛び込もうと思う
人生、夢見ることが終わる段階はないと思う
夢を追いかけ回ることが大人げないとしたら、大人にはなるまいと思う
いや、なっちゃいけないと思う
自分は夢を持つ資格がないと思っている人、夢を追いかける勇気が出ない人を見ると放っておけない
その人の命がもったいないと思うから
でも、僕の中の夢追い人は引っ込み思案
無関心、無反応にはめっぽう弱い
皮肉屋のあきれ顔や懐疑派の批判は屁とも思わないけど
見向きをしてくれる人、乗ってくれる人がいないとすぐテンションが下がってしまう
もっと強靱な夢追い人でありたいと思っているけど
精神論だけではどうにもならないし
相手の反応に敏感なのは必ずしも悪いことじゃないかとも思う
引っ込み思案な夢追い人という性質は自分の結構奥深くに根ざしたものらしい
もともと寂しがりで恥ずかしがりでいながら、不器用なので、本気で取り組むには自分をさらけ出すくらいしか芸がない
でも、それで、これまで良かったこと、創り出せたこともたくさんあるから
これはこれで受け入れて、そこからどう積み上げるかを考えることにした
無関心には弱く、相手の反応に敏感という「弱さ」を持った自分の発揮できる力を最大にするために思いついた戦略
それは、向き合う相手と場所を見極めること
もともとすべての人の役には立てないし、すべての人に足しになることをできるほど器用でも多才でもない
だから、自分が役に立てる人、役に立てる場所を見極める
新しい人とのつながり、新しい場所に挑んでいくのは一生懸命やるけど
本気でコミットすべきかどうかという見極めを大事にしていきたいと思っている
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できあがっていない人はオープンだからいい
いろいろ一緒にやれそうで、その可能性に心躍る
だからできあがっていない人に対してはほぼ無条件でコミットします!