まず共感から

世の中の何か、人との間の何かを変えようとするときに、他の人を理解できてはじめて前に進むことができる。

そして、他の人を理解するには共感がカギになる。

共感とは、同情することではない。人が取った行動を、その背景にある現実認識からスタートして見てみる、ということ。

人は腹が立つことや意味の分からないことすることがある。でも、その理由が、その人たちが「バカだから」とか「悪意に満ちた奴だから」であることはほとんどない。

人が自分に理解できない行動を取る理由を、その人がバカだから悪人〜理解できない人間〜だから、と考えることは、自分にはわかりやすく簡単な説明ではあるが、その人の頭と心の中をブラックボックス化してしまい、理解しにくくしてしまうことになる。

相手の頭と心の中がどうなっているのかより正確にわからないと、どこ部分が変化のための鍵になるポイントかわからず、何に働きかけたらいいのかがわからない。

人というのは、知っていること、信じていること、持っている価値観、満たさないではいられない欲求、などでは違っていても、その上のロジック、結論の導き方はそうとんでもなく違うものではない。まして、同じ文化の中で育ったならばなおさら。

だから、もし改善、解決への一歩を目指すなら、信じらんない!とんでもない奴!と憤慨するところを越え、良い悪いの判断をとりあえず止めて、相手の意識空間に入ってみることからはじめてみるというのはかなり有効。

「なるほど、そういう状況であればそういう行動を取ってしまっても無理はないか」と思えるところに立ってみると相手の行動がどこから来ているのかが見えてきて、相手への働きかけのポイントも見えてくるんじゃないだろうか。

皮肉なもので、相手への働きかけの可能性が絶望的に思える時ほど、相手への共感が働きかけの近道だったりする。

多くのものがそうであるように、最も難しそうな道に打開策が隠されているらしい。

Inspired by: Seth Godin’s blog “Empathy”

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です