「置き手紙」カテゴリーアーカイブ

十分でない、のはいつでも同じ

もっと時間に余裕があれば本当にやりたいこと、やるべきことができるだろう。
もっとお金があれば未来に投資できるのだが。
もっとゆったりとした気分でいることができればしっかり考えるのに。
もっと気持ちに余裕があれば、人に優しくなれるけど。
もっと暇があれば、人のために時間を使うこともできるけど。
もっと… …

もっと…

しかし、「もっと余裕がある」ことなど一生ない。

余裕がないこと、十分に条件が整っていないことを理由にしていたら、一生できないし、一生やらないだろう。
今難しいことは、いつでも難しい。

カギは、難しいその「今」、やるべき事をやること、すべき投資をすること。それによってのみ未来は開かれる。

Inspired by: Seth Godin’s blog — Never Enough

自分は信じない、人を信じる

「自分は信じない、人を信じる」
ジブリ・鈴木敏夫プロデューサーのことば

「自分を信じない」というのは自分にしっくりくること、自分に当然だと思えることに安住しないで疑ってみるという態度。

むしろ、信頼する人に「だまされてみる」。信頼する人のすすめ、無茶振りに乗ってみる。

自分の壁は自分では越えにくい。

「壁」というのは、能力自体と言うよりも、ものの捉え方、行動・思考パターン、内的な精神的リミッターなど、自分の行動と思考の習慣によって形成されているもの。だから、単純に「越える」といっても一筋縄ではいかない。自分の習慣は意識しにくいから、それを変えよう・越えようと言ってもどうやっていいかもわからない。

そこで突破口の一つとなるのは、状況や他の人からの無茶振りに応えるためになりふり構わず全力で戦うこと。

自分を信じずに人を信じるというのは、今自分がしっくり来ている状況、収まっている安住の場をあえて押しやろうとする、自分と戦い続ける姿勢。

人を信じて生きていこうとするときには、一緒に仕事をする人、一緒に生きていく人の選び方がことさらに大切。

本当にこちらを信じて本気の無茶振りをしてくれる人と一緒に生きていければ、自分の想像を超えて成長しながら生きていけるんじゃないかな。

変化のリズム

変化や方向転換も習慣。

定期的に変化させるリズムを作れば、タイマー仕掛けのようにカラダが疼いて変化をしたくなる。

できるだけ安定を保ち変化は必要に応じて、と思っていると、変化を起こすのが特別なことになり、心にハードルができる。変化自体を起こす前にハードルを越えるためのエネルギーが余分に必要になる。

フットワークを軽くして変化を起こしやすくするには、変化のリズムを作るのがいい。とにかく定期的に変える、変わることを前提に動くようにする。

本物であること

現象を理論化、モデル化して捉えることは、特に全体像や大枠の体系性を捉える上で有効だけれども、あくまで「本物(authentic)」の感覚にこだわることを忘れない。「本物」は具体的な時と場に埋め込まれている。その現場にあるちょっとした気づき、違和感、手触りを大切にして、その引っかかりを常に手放さない。

「本物」とは、建前的な正しさとかではなく、その場の直の肌感覚。この「本物」感覚をないがしろにして、自分の頭の中だけで理屈をこね始めると、目の前にあるものを見なくなり、自分の理解に都合の良い、自分よがりのまやかしの枠を作ってはめてしまうだけ。そうなると、いくら真実を探ろうと問い詰め突き詰めてみても、自分の作った疑似世界の中の堂々巡りになってしまう。

言うまでもなく、「本物」を感じ取る肌感覚を育てることが何にもまして大切。やっかいなことに、この「肌感覚」は理屈ではわからない。そもそも、理屈を越えた本物感覚が「肌感覚」なのだから。禅問答のようだが、「肌感覚」は肌感覚で覚えるしかない。「本物」に触れて感動させられる経験が多く重なって体にしみ込む中で徐々に育つ。

「本物」は感じ取るものではあるけれども、誰もが同じように感じるわけではない。同じ色を見たときに、赤だ、緑だというところは人と人の間で一致しても、それが好きか、感動してしみ込んでくるかどうかは人による。それと同じで、経験、見たもののしみこみ方も人によって違う。そして、ピンとくる「本物」も人によって違う。だから、「本物」感覚は簡単にパターン化できるようなものでもないし、まねできるものでもない。人の肌感覚をまねしようと思ってもできない。自分の「本物」感覚は自分の身体で感じ取り自分の中で育てる。

自分の人生は自分が「本物」を感じ取れる領域で磨く。「本物」を感じられないところで磨こうと思っても、借り物の基準や借り物の目標で自分の人生を縛ってしまうことになり、自分の人生が自分から剥がれてしまう。

 

本物にこだわって生きよう。

今の僕にとって大切なこと

自分が大切に思うこと、それによって大きな喜びと幸せを感じること、は生きていくうちに変化するもの。

今の僕にとって大切なことは2つ。

一つは、人とつながり、活かし活かされる関係の中で、自分を超えるべく力一杯がんばり、他の人のがんばりを支えること。

人は活かされる場、役割を与えられることで力を発揮する。どんな人でも必要とされたいもの。役に立てる、という気持ちが持てる力を引き出し、自分が思っても見なかった能力を発揮させる。自分の能力は自分自身で発言させることは意外と難しい。他の人から求められて目覚め、育てられるもの。

個々の人間が昨日までの自分を超えようと努力を重ねることでグループも成長する。グループが個人を育て、個人が育つことでグループが育つ。そんなプロセスを通してきっと面白い展開がある。

 

もう一つは、この世界には驚くべきこと、感動すべきことがたくさんあるというワクワク感。

世界のワクワク感を増やすために、感動する心を育て、感動できる環境をつくり、感動をもたらすもの、知的好奇心を突き動かすものを創り続ける。

自分自身もたくさん感動し、それを自分の中で純化して、新たな感動を生む原石にして世に生み出していく。

充実した人生をどう作るか

人生が充実度を計ろうとするとき、喜びがあるか、幸せか、意味を感じるか、価値があると思えるか、などがよく引き合いに出される。確かに、「喜び」「幸せ」「意味」「価値」が大きい人生は充実したものだといえる。

でも、どうしたら充実した人生を送れるかと考えるとき、「喜び」や「価値」自体を追い求めると迷走してしまう可能性がある。というのも、「喜び」も「幸せ」も「意味」も「価値」も、満たされた人生の結果としてもたらされる兆候であって、それ自体が満たされた人生を作る、保障する要素ではないから。

一時的で表層的な感覚として「喜び」や「価値」は他のことで得られることもある。だから、何を通して「喜び」や「価値」を得るかにこだわっていないと、「喜び」や「価値」を感じるために手段を選ばず、なりふり構わず行動してしまい、一時的な快楽追求や、表面的な成果・実績追求をするようになってしまう。

本当に充実した人生は、自分にとって大切なことを知り、それを大切にする時間と活動を積み重ねていくことで築かれていく。

いつかどこかの君への置き手紙

午後の僕から午前の君へ

「置き手紙」の記事は、僕がなんらかの形で力になれる人たちに捧げます。

僕は人の力になること、人を元気づけることが好きです。でも、ずっと自分の言えることにはたいした価値がないであろうとか、他の人もいっているだろうとか、人を励ますなんておこがましいとか、思ってきました。

でも、子どもを育てたり、悩む若者の話を聞いたり、相談に乗ったり、一緒に考えたりしているうちに、僕にも力になってあげられる人たちがいるということがだんだんわかってきました。

同時に、僕の人生も40年の半ばを越えた頃から、この世での自分の時間の終わりを意識するようになりました。長く見積もっても、これからは、生きてきた時間よりも生きていく時間の方が短くなっていきます。その中で、できることを一つでも多くやっておきたいと思うようになりました。

これは、僕が自分の人生を生きてきて感じたこと、考えたことを、いろいろな局面で迷ったり、悩んだり、落ち込んだりしている人への応援の気持ちを込めて、書きとめるものです。悩みを越える足しになればもちろん嬉しいですが、ここに書くことは「教訓」や「アドバイス」のような立派で偉そうなものでもなく、まして、悩みの「答え」ではありません。

人生の悩みは結局のところ自分自身のもの。他の人が答えを与えられるようなものではないし、悩むこと自体が自分の人生ならではの醍醐味とも言えます。とはいえ、一人で悩むことはありません。他の人の経験や悩みを聞くことで、少し冷静に考えることができるようになったり、励まされることがあるでしょう。

このブログは、そんなふうに、あなたの悩みに寄り添い、もう一歩先に進む力となりたい、という気持ちで書いています。本当は、あなたが悩んでいるその時々に、気持ちのいい椅子にでも腰掛けて、話を聞き、僕の経験なども離しながら一緒に考えてあげたいと思うけれど、その時にいつでも僕がそばにはいられないでしょう。だから、その時のために、あなたに寄り添って一緒に考える僕をブログの形で残しておこうと思い、書き始めました。

二つの友

大きな変化は、一つの安定的な状態から違う状態への世界の組み替え。

そんな大きな変化と時は、人の間の緊張関係、人と自分の入れ替えを伴う。それまでの安定的状態を支え構成してきたもの・リソース・人々の多くと別れて、新しい状態を支え構成する人・もの・リソースを組み上げなくてはならない。

その過程で最も難しい要素が友なのだろう。

友には二通りある。状態を支える友と変革を一緒に生き抜く友。どちらも大切だけど、違った種類の友。

状態を支える友は、どんなに気があって、一緒にいてしっくりきても、可変要素で付き合いは一時的。なぜなら、その友と共有するのはある一時点の状態だから。特に変化をし続ける人生では状態の移り変わりと共に「状態の友」の移り変わりは必然。「状態の友」は、辛いけどちゃんと入れ替えていけないと、変化の環境を保ちにくくなってしまう。

変革を共に生き抜く友はビジョン、方向性を共有する。こういう友との付き合いは長くに亘って大切であり続ける。この友とは、状態が変わっても、不安定になっても一緒に走り続けられる。共有するモノが方向性であって、ある特定の状態ではないから。方向性を共有する友とは今離れていてもいずれ会えるかもしれない。「変革の友」は、自分の方向性を維持するのに大事な役割を負ってくれる。簡単に手放してはいけない。

変化・進化を絶やさず、でも軸をぶれさせずに人生を生きていくには、方向性、価値観を共有する違った種類の友を常に見極めていることが大切。

人生を生ききるということ

beautiful life
Photo from: http://flic.kr/p/bAn5aF

それは自分の身体、自分の出逢いを通してしか実現できない人生を生きるということ。

他の人に置き換えてもつじつまが合うような人生は借り物。

幸運だと思えること、不運だと思えること、うれしいこと、悲しいこと、楽しいこと、辛いこと、得意なこと、不得意なこと、好きなこと、嫌いなこと、すべて自分の人生に自分のものならでは特徴を授けてくれるでこぼこ。

どれも大事にして、出っ張ったところもへこんだところもいっぱいに広がって生きよう。

自分に転機をもたらせたもの

何とか自分を変えたいと、何年も悩みあがいてきた。

そして、この1年ほど、やっと自分の中に変化の手応えを感じるようになってきた。自分が大事にしたいもの、生き方がだんだんはっきりとわかってきた。

そんな変化がおきたのは、今思ってみると以下の5つの気づき・決心が土台になっている:

1) 自分に対する劣等感・不安感から逃げずに向き合い、受け容れる。
〜自分の至らないところ、ダメなところを受け容れる
〜劣等感・不安感をごまかさずに認め、分析する

2) 自分を幸せを自分の中に探す
〜外的な要因・ものに「幸せ」を求めるとそれに翻弄される

3) 自分は自分自身の最大の理解者であり、支援者である
〜これまでもっぱら自分に辛くあたってきたが、自分で自分を潰すのはばからしい
〜自分こそが自分自身を応援しよう

4) 自分に大切なもの・こと・人のことを真剣に考える
〜大事なものをはっきりと意識し、明確に優先する

5) やることの結果よりもプロセスに焦点を当てる
〜どのような結果になるかにこだわるのではなく、その成果に向かってもがき、悩むプロセス自体を楽しみ、味わい、大事にする