「生きた道々」カテゴリーアーカイブ

成長を可能にするのは知識ではなく勇気

知識を得ることは成長のきっかけになりうる。

でも、知識を得ること自体は成長ではない。

人は、得た知識によって生き方が変わったとき、成長する。

どんなにはっきりと、どんなに深く「分かって」いても、時には苦しい思いをしながら生き方を変える、その勇気をもたなくては、知識は絵に描いた餅。

成長は、詰まるところ、自分自身を変化にさらす勇気にかかっているんだな。

 

[読]『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』

自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)

下園壮太 朝日新聞出版

これはタイトル的に本屋で目にしてもまず手に取ろうと思わない本だけれども、割とよく読んでいるブログで取り上げられていてちょっと引っかかりがあったので読んでみた。

特に気になったのが以下の引用:

なぜかイライラしているし、仕事に意欲を持てなくなってしまった。

このようなケースは、表面的には「生きがい」の問題のように見える。

しかし、多くのクライアント(相談者)を支えてきた私には、生きがいの裏に潜むエネルギー問題が見えてしまう。エネルギーの使いすぎ、つまりムリな状態を続けたことで、気力が低下し、生きがい問題として表れているケースが非常に多いのだ。

読み終えての感想は、読んで良かった。

自分の経験からなんとなく持つようになった感覚が明確に意識されるようになった。

うまく集中できない。気力がない。いいアイデアが浮かばない。明るい展望が開けない。めざすべき将来像が見えない。といった「スランプ」に陥ることが僕にはすくなくない。

そんな時、以前は、どうして自分の創造力はそんなにショボいのか、気力が弱いのか、見方が後ろ向きなのか、などとよく自分に詰問していた。でも、いくら自分に詰め寄って叱咤しても気分が腐るだけなので、あるときからそれをやめることにした。何となく自分を甘やかすようで抵抗もあったが、自分で自分を潰してもしょうがないと思うに至った。「自分」は他の人と差し替えられないし、どんなにダメなやつでもこの人にがんばってもらわなくてはならない。だったら、ダメなやつでもダメなりの最大のパフォーマンスを引き出せるように応援した方がいいと思ったから。

そう思うようになってからは、集中できない、気力がない、いいアイデアが浮かばない時も、まあそれは一時的で、元気が出てくれば自然とうまくいくようになるさと思える余裕が少し出てきた。そうやって大きく構えていると、実際に元気になった翌日には不思議なくらいアイデアが出たりした。そんな小さな成功体験を通して、「スランプ」も一時的なもので、疲れているのが原因だろうと思うようになってきていた。

なので、この本で言われていることはすごくしっくりきた。

集中できない、気力がない、アイデアが浮かばない、将来展望が見えない〜こうしたことは「生きがい」や「性格」や「世界観」などといった哲学的、精神論的問題と考えがち(本人も周りも)。でも、それは単に気力・体力的に限界に来ていることが原因であることが意外と多い。

「生きがいがないから、意欲がなく、だから元気がない」よりも「疲れているから、意欲がなくなり、だから生きがいなど見えようもない」状況になってしまっている。問題は一時的な疲れから来ていて、生きがいや性格や能力自体の問題とは違う。それがわかればやるべきことははっきりする(休むこと)し、気力が低下していることそのものに悩んでさらに気力が低下するという悪循環に陥ることもない。

ちょうど極度に疲労していて気力がどん底になっていた時に読んでいたのでありがたかった。

おすすめです。

あまり詰めて取り組むのは良くないね

講演アウトラインの一人ブレストを数時間にわたってあれでもないこれでもないと詰めてやってさすがに疲労。頭は疲れ切って、気分も疲れ切り。

やはり、詰めてやるのはあまりよくない。

なぜ詰めてやってしまうのか。特に、疲れ切ってしまうときは、集中していると言うよりも、思ったようにぐいぐい進めないことに囚われてしまっている。持っている株の値が落ちてきたり、負けが込んできたときに見切りをつけることができない感覚に似ているのかもしれない。プロジェクトの場合、うまく進まなかったという気分で終わりたくないとこだわって切り替えられないという気持ちと、このまま放っておくと間に合わないのではないかという不安感の入り交じった感じ。

でも、時間切れで終わらざるを得なくても、次の時に見返してみるとすんなりと進んだりもする。それどころか、あっさりリセットして別のアイデアが浮かんですいすい進み、この前の悩みは何だったのかと思うこともよくあること。

という経験に基づけば、総じて、あまり詰めてとことんやっても煮詰まって疲労するだけで効果的ではないと言える。よく言われていることで、頭ではわかっているんだけどね。その場ではなかなかそうはいかない。

では、どこをどう変えたら、この煮詰まりを繰り返すことをとめられるか。もちろん、意志を強く持って切り替える、などという精神論はうまくいかない。煮詰まり街道まっしぐらに突き進んでしまっている暴走車の中で、Uターンして戻ればいいんじゃない、というようなもの。

煮詰まり街道まっしぐらになったらできることは少ない。だからそうならないように防護策をとっておくのがよさそう。

それには、予めその日の作業にあてる時間枠を決めておく。そして、時間の終わりになったら、できてもできなくてもそこが枠だと割り切る。

気分的にはここで放っておけないという勢いがついているかもしれないが、暴走になる前にしっかりとエンジン切って区切りをつける。そうすれば、一つのプロジェクトの不安やフラストレーションが止めどもなく流れ出して意識世界全体を覆ってしまうことが避けられる。

時間で区切りをつけやすくなる(踏ん切りをつけやすくする)ための工夫もいくつか考えられる。

まず、早めにプロジェクトに取りかかって、時間に追われないように進めること。時間に余裕がなくなると踏ん切りをつけて先送りがしにくくなる。これも、わかっちゃいるけど、の一つだけど、心に留めておいて損はない。

もう一つは、作業を止める時点での現状、問題点、見通し、考えられる方向性などをメモしておく。それによってより安心して先送りできる。

プロジェクト単位では、煮詰まってしまう悩みの段階は必ずあるもの。それが全体を引きずり落とさないようにするにはその意識もプロジェクト事に切り分けて、煮詰まった状況や感覚をそのプロジェクトの中だけに閉じ込めておくことが大事。