モノか心遣いか

今日、昼食にも夕食にも弁当を食べたのですが、その弁当があまりに極端に違っていて面白かったので、その話をしたいと思います。

一体何がそんなに違ったのか。まあ、値段も違うと思いますが(片方はごちそうになったので正確にはわかりませんが)、もっと重要な違いを感じました。端的に言えば、それは味わったのが「モノ」か「気持ち・心遣い」かの違いと言えるでしょう。
 昼に選択肢がなくて仕方なく買った弁当は唐揚げとハンバーグが無造作な感じでゴロンと入ったもので、面白くもおいしそうでもないものでした。食べないとお腹がすいてしまいそうだったので買いましたが、食べる段になって何とも言えない灰色の気持ちになりました。
 こんな弁当を作って嬉しいのだろうか。作った人は食べる人の姿を一瞬でも想像したのだろうか。答えはどちらもノーでしょう。そんな、モノとして作られて、モノとして詰められたものを食べようとしていることが何かすごく殺伐とした感じで嫌だなあと思ったんです。
そして夕食の弁当。まずはご覧あれ。

13-03-15 春弁当

 入っているものがいろいろでおいしそう!ということもありますが、左上のちらし寿司は菜の花畑や桜の色合いだし、右上には桜の葉や花、桜の花びら形のかまぼこのようなものや、桃の若い実(緑色の梅のような実)、下の段も春を感じさせてくれる工夫や気遣いがたくさん詰まってます。
 これだけ春が一杯に感じられて(花粉もなく!)、気分も明るくなってきました。そして、こんな演出をしてくれた人たちの気持ちやこだわりが、なんかとても嬉しく感じました。
 いろいろな工夫や細かい手の入れかたを見つけながらおいしく味わったのは、品々の味もですが、それ以上にそこにかけられた手間や心遣いでした。
 心遣いが感じられることがこれだけ嬉しく感じられるのは、やはり我々の日常を取り巻くものが工業製品や大量生産品でしめられていて人の心を感じにくくなっているからなのでしょうね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です