幸せ、嬉しい、ありがたい、みんな優しい!と思う経験に慣れるのは大事なこと。
慎重派の人たちは、そんな「甘い」状況に慣れたらロクなことがない、というかもしれない。周りに甘い期待を持っても、結局期待は裏切られ、傷つくだけだから、世間は厳しいと思って期待していない方がいい、と。
確かに、そうして人に頼らなくなれば傷つきにくくなるかもしれない。そして、そういう人は側からは強い人に見えるかもしれない。
でも、そういう「冷たい世間」に適応した人ばかりになったら、その嫌な「冷たい世間」が現実になってしまう。
傷つくことを恐れて身構えて、硬い反応を返す人たちは、その彼らの恐れ、そこからくる硬い過剰反応が「冷たい世間」を作っていくことに気がついていない。
僕らは自分はあくまで、すでにある状況に反応しているだけ、自分は何もしていないと思いがちだが、それはケンカを始めた子供たちが相手が叩いてきたことしか言わないのと同じ。
何かに反応してやったことだとしても、自分が世の中に作り出す行為であることに変わりはない。
冷たい世間を前提に行動していれば、周りの人はだんだんそうなっていく。犯罪者のように扱われれば、人はだんだん犯罪者のような気待ちになっていく。同じように、周りの人を「冷たい世間」のように扱えば、周りの人はだんだんそういう扱いに沿った行動を返してくるようになる。
だから、幸せ、嬉しい、みんな優しいのが当たり前の世の中をつくり出したければ、期待を裏切られる恐れや傷つけられる痛みと戦いながらも、幸せや優しさを当てにする「甘さ」を持ち続ける。その覚悟がいる。
一人ではなかなかその強さを維持するのが難しいけど。