「ものが最初に生まれてくるときって、誰のためでもなく、つくった自分のために生まれてくるはずなんです。そこに込められたものの力って、とても強いと思うんです。その気持ちが強ければ強いほど、それは波紋のように、人の心から心に伝わっていく。売れる売れないじゃなくて、作者が自分で気に入っているか、気に入っていないか。それが、つくられたものが「作品」であるかどうかを分けるポイントなのかもしれません。」
ほぼ日手帳のことば:細井潤治
自分の身を削るようにしてものを作り込む。
作られたものに向き合い、本当に納得できるか、好きになれるか、問いただす。
納得できなければ、やり直し。
そうやって創り出されたものは、
その人がいたから、その人だから生み出せたもの。
その人の「作品」。
そんな「作品」は、その人がいたからこそ生まれたもの。
そういう意味で、その人が生きていた証。
ものを創り出すのなら、
自分が生きていた証となる「作品」を創ることにこだわりたい。
生きた証にならないものはをいくら創りだしても、
ただのモノだから。
生きた証となる作品づくりといっても、
これは、いわゆる「芸術家」の作品づくりの話だけじゃない。
「普通の仕事」にしても
ちょっとした人助けでも
人と過ごす時間でも
散歩道でのゴミ拾いでも
自分ならではの「作品」を創り出せる
みんなが毎日自分がやっていることの中で「作品」を創ることにこだわって、仕事場でも、満員電車の中でも、近所でも、みんなの「作品」があふれかえったら、何かすごいことが起こりそう。
そんな気がしませんか。