世界を変えることと征服することの違い

朝日新聞の土曜版に載っていた河原成美さん(博多一風堂・創業者) のインタビューが面白かった。

ラーメンを世界食にしたいという川原さんのことば:

{ラーメンが世界食と認められた時}すしにカリフォルニアロールが出現したように、{ラーメンの定義も}変わります。日本では、かん水を入れた中華麺を使っていないとラーメンではないと言いきれるが、世界中、どこでも手に入るわけではないから、その条件は通用しない。スープのだしも百花繚乱になるでしょう。

 外国人が自由な発想で、これが自分のラーメンだと宣言して店を出す。そこに現地の人が行列をつくり、商売が成り立つ。それが物珍しいことではなくなったとき、すしのレベルに手が届いたといえるでしょう。

これを読んだときに、この人はラーメンで世界を変えたいと思っているんだな、と思った。

これは、ラーメンで世界を征服したいと思っているのとは違う。

「ラーメン」を形で定義して、決まった味、決まった具材で構成された料理として固定し、それをそのまま世界に広める。世界の人に、決まり事としての「ラーメン」を受け容れさせる。それがラーメンによる世界征服。

世界征服は、自分を変えず、自分を広げ、世界に押しつける。

川原さんは、ラーメンを狭く固定的な料理として捉えるのではなく、外国の人との出会いの中でラーメンが変容することを受け容れている。ラーメンの外形的なかたちは「ラーメン」の本質ではないと考え、むしろ食事への一つのアプローチと捉えているのだろう。

おもしろい。

世界を征服するのではなく変えるには、異質なものとの出会いの中で自分が変容することに対してオープンでなくてはならない。逆説的に聞こえるが、相手の中での本質的な変化はお互いが変化し合う相互作用でこそ起こるんだろう。

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